白石一郎作『月と老人』
福岡県秋月 取材の旅 2016年9月
筑前の小京都、秋月 取材の旅
かつては、秋月千軒と呼ばれた程の城下町。
前日に福岡城跡・舞鶴公園の案内所・三の丸スクエアで、
「遠いから、丸一日かけた方が良い」
「桜や紅葉の時期は人が多いが、今ならゆっくり楽しめる」など
親切なお声をを聴いた。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
秋月へのバスが発着する甘木駅の観光プラザほとめく館で伺うと、
何とも親切に散策ルートなどを紹介してくれた。
決して便が良いとは言えない道のりで
ちょっぴり湧いていた不安が吹っ飛ぶ。
そして、バスから降り立ったのは、秋月・杉の馬場。
「ほんとに来てしまいました!」。
かつては杉の大木がうっそうと茂り、
武士たちが馬術の鍛錬をしたり、流鏑馬が行われた。
今は桜並木となっている。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
きれいな水が流れる水路が町を縦横に走り、
なだらかな山並みも見渡せる。
日本の原風景と言っても、
ここなら「ひたりすぎ」ではないだろう。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
きれいな水が流れる水路が町を縦横に走り、
なだらかな山並みも見渡せる。
日本の原風景と言っても、
ここなら「ひたりすぎ」ではないだろう。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
さぁ、秋月城址へ。
秋月藩時代の御館正門があったこの瓦坂
筑前の小京都、秋月 取材の旅
瓦坂は、土砂の流出を防ぐために、
文字通り、瓦が埋め込まれている。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
元々秋月城の裏手門だった長屋門。
城内で唯一移築されずに
建築当初のまま残っている建物で、
秋月城の面影を最もよく今に伝えており、
『月と老人』のラストシーン、主人公が新たな人生を歩み始める場所。
この奥には、かつて奥御殿があった梅園公園がある。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
城跡に建てられた木造の秋月中学校。
この日は、運動会の練習が元気に行われていた。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
秋月城の大手門だった、黒門。
明治13年(1880)、垂裕(すいよう)神社(初代藩主黒田長興を祀る)の門として
現在の場所に移築。
中世以来の秋月の歴史を見つめている。
これで城があったら、申し分ないのだが…。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
筑前の小京都、秋月 取材の旅
筑前の小京都、秋月 取材の旅
郷土館を見学中、
秋月藩の上級武家屋敷・旧田代家住宅のチラシを手にする。
よくよく見ると、
『月と老人』の主人公に至上命令を下す
筆頭家老の邸宅である。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
旧田代家住宅。
面するのは、「月見坂」。
秋月城が真東方向にあたり、
中秋には、城の真上である山頂付近から月が眺められる
絶好ポイントだった。
茅葺の立派なお屋敷だが、
内部は素朴な印象。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
もう一軒、武家屋敷を見学。
お掃除も行き届き、
邸内のあちこちに季節の草花がある、久野(ひさの)邸。
渡り廊下でつながる離れ座敷も素敵
筑前の小京都、秋月 取材の旅
武家屋敷・久野(ひさの)邸。
渡り廊下でつながる離れ座敷も素敵
筑前の小京都、秋月 取材の旅
邸内のあちこちに季節の草花がある、
久野(ひさの)邸。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
久野邸の管理人御夫婦お薦めの蕎麦の店、
池田屋。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
池田屋さんでは美味しいお蕎麦とともに、
<くず焼酎 秋月>も頂き、土産に決定。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
黒田家の菩提寺である古心寺(こしんじ)。
歴代藩主、婦人の廟所がある。
本作『月と老人』のキーパーソンのひとり、
秋月藩中興の祖・八代藩主黒田長舒(ながのぶ)は、二人の妻とともに、
ここに眠る
筑前の小京都、秋月 取材の旅
秋月への里心は増す一方だが、時間は待ってくれない。
後ろ髪を強力に惹かれながら、帰りのバスに乗り込む。
お蕎麦の池田屋さん前を通ると、窓越しに御主人と目が合い、手を振る。
やっぱり旅は良い…それも、
簡単には辿りつけない秘郷のような場所への旅は。
筑前の小京都、秋月 取材の旅
行く前から、身体より先に秋月へ飛んでいた心の一部は、
そのまま置いてきてしまったような気がする。