旧安田楠雄邸 語りと和楽
芥川龍之介生誕120年『奉教人の死』 #7
芥川龍之介1892年(明治25)
辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことから、
その名がついたといわれる。
1914年(大正3)、豊島郡滝野川町字田端へ移住。
隣家は、鋳金家でアララギ派の歌人でもあった香取秀真、
平塚らいてうの住いも近かった。
文壇の流行児芥川を尋ねる人は多く、
執筆中は「忙中謝客」の貼り紙で断り、
日曜を面会日として洒脱な会話で客を魅了した。
1923年(大正12)関東大震災後、
芥川が町会の自警団を引き受け、
当番の日、道端の籐椅子に寝そべって、
「雨月物語」だの幽霊話をすると町中の人が集ったという。
麦藁帽子を被り、煙草をくわえて、
まだ幼い息子達と芥川の写った、
彼の死の年(1927・昭和2)に、田端の家で撮影された映像もある。
この家は、昭和20年の空襲で全焼、
わずかに万年塀と木が現存する。
(参考:地域雑誌「谷中 根津 千駄木」21号、
森まゆみ「高台の町〈田端文士村〉に集った人たち」など)